こんにちは。ふくらはぎです。
玉ねぎ切ってると涙が出てくる女子です(´_ゝ`)
受験シーズンですね。自分も10年以上前に高校受験を経験しましたがもうやりたくないです。
ビンボーで勉強も苦手だった美人がどうやって受験戦争を乗り越えたでしょうか??(´_ゝ`)
貧しくて荒んだ家庭
引きこもっていた中学3年生
中学3年生と言えば高校受験が控えています。当時の自分は高校に行きたくないと本気で思ってました。
なぜなら当時は担任が嫌いな先生だったのと人見知りをこじらせクラスに馴染めず引きこもりになってしまったからです。
【母子家庭】中学時代に少しだけ【引きこもり生活】をしてました
家も荒れてました(´_ゝ`)
中学2年生の時に両親が離婚。絶えないケンカが終わりやっと平和になると思っていたら今度は新しい男が家を出入りするようになり、この人もまともな人間ではなかったのです。
家にいても学校にも居場所がない、頼れる味方がいない。そんな環境で自信がつくわけもなく、高校に行ってもきっと不登校になる。
そんな不安な気持ちでいっぱいでした。
なんとか高校受験を決意
しかし不安な気持ちの中でこれだけは頭の片隅にあったのです。
でも将来働かなきゃいけないんだよな~
家が生活保護受けるくらいビンボーだったので、自分もその内働かなきゃいけないと頭に刷り込まれていました。
- 働くためにに最低でも高校には行かなきゃ。
- どこ行っても人付き合いは避けられない。
それに高校に行ったら今まで一緒だった地元メンバーとおさらばすることができます。
嫌いな担任もクラスに馴染めない自分を知っている人も誰もいません。新しい環境になれば心機一転ちょっとはマシになるかも(´_ゝ`)
自力で自分自身を説得することができました。あと父親に、
みっともないから高校くらい行け
余計なことまで言われました。父親は家族に無関心でケチな人なので養育費ですら頑なにお金を出そうとしません。
高校行けって言うなら受験代とか制服代とか何でもいいからお金出してくれよ。タダで高校は通えないんだぞ。無責任にもほどがある。
この一言は腹が立っただけでしたね(´_ゝ`)
都立の進学校を受けることに
進路相談のため週に1、2日づつですが、少しづつクラスに顔を出すようになりました。
教室に入るのすんごく辛かったけど仲のよかった女子も何人かいたのでひとりぼっちにはならず、卒業までなんとかやり過ごすことが出来ましたみんなありがとう(´_ゝ`)
いざ学校選びですが当時の自分に志望校はなく、どんな学校を受ければいいか全くわかりませんでした。
お金がないから都立の一般入試しか受けれないと母親に言われてるし、おつむも残念なので推薦のすの字もかすらず。あとは、
不良がいない学校がいいです。。
それだけ先生に伝えて相談。不良は怖いですよね(´_ゝ`)
学力テストを受けて偏差値を調べるとボロボロだったそうです (覚えてないですすいません) 担任も「うーん。。!!」と難しそうな顔。
なんやかんやで都立の進学校を受けることになったのですが、こちらの学校はちょっと変わった学校でした。
- 自分の代から全日制→定時制に
- 制度が変わるから志望する人も少ない
- 生徒を集めるため偏差値はあまり気にしない
と言う条件で生徒を募集しているのでここならどう?と副担任たちに言われました。他にもいろいろ言われた気がするけどそんな感じでした。
なんとなくですが、ここ良さそうだな~と思えたのでその高校を受けることに決定。
ただ嫌いな担任だけは自分の偏差値よりも高めな学校だったので (前回までは) 少し渋い顔をしていましたう〇こ(´_ゝ`)
もう副担任の存在が大きかったです。
40後半くらいのおっとりした男性で、本当はこの人がクラス担任になるはずだったのに今の嫌いな先生に譲ったと言ってましたわけわからん(´_ゝ`)
嫌いな担任よりも接しやすく、こちらの様子を気にして「大丈夫??」と話しかけてくれる優しい人でした。家は荒れてて担任は苦手。頼れる大人がいない中でありがたい存在でしたね。
新聞に倍率が掲載されていた
当時我が家はなぜか読売新聞を取っていたのですが、そこに2回くらい都立高校の倍率が載っていたのです。私立組が終わった後と一般募集の時でしたっけ?忘れてしまいましたすいません。
自分が受ける学校はなんと定員割れ。
2回目の掲載なんて多分私立の合否が決まった後に載ってた気がするから本当に受験間際の情報だったんですよ。間際に定員割れってことは、
あれ、これいけるんじゃね??
こんなに少ないものなの??と疑ってしまいましたが気持ちはかなり楽になりました。
単純な人間なもので(´_ゝ`)
母親の情緒不安定に気が滅入る
うつ病を患っていた母親は受験を受けるふくらはぎさん以上に不安そうにしてました。
どうしようー落ちちゃうよー働けないよー!!
アル中で酒乱の母親は手が付けられず警察のお世話になるほど感情の浮き沈みが激しい人でした。
時に泣きじゃくり時に怒鳴り散らして暴れる本当にガチでまじでめんどくさい人だった。そんな人がずっと隣で、
あんたは落ちるよもうダメだどうやって生きていけばいいの??勉強してるの?勉強??
人のモチベーションを下げる発言ばかりするのです。不安なのはわかる、でも少しくらいは応援してくれよ。
楽観的だった自分もさすがにちょっと不安な気持ちになりますよ。ってゆーかうるさくてイライラしました。そんな環境で集中できるか!!
私立受けれる人がうらやましい
教室で怯えていると嫌でも周りの会話が聞こえてきます。
その中で都立が第一志望で滑り止めに私立を受けるクラスメイトの存在に苛立っていました。なぜなら、一回落ちても大丈夫という安心感とお金の余裕があるから。
そして自分は都立一本しか受けれないので私立組に貴重な席を取られる危機感を感じていたからです。
自分は両親の離婚で生活保護を受けながら暮らしていたので私立どころか毎日の生活すら危うい状況。なのに周りはそんな危機感もなく、楽しそうに余裕のある生活を送っていてとにかく羨ましかったのです。
ふくらはぎちゃん一緒に〇のうよ。もう生きてけないよ。。
こんなことばかり言う母親でした。気が滅入る。。
うち以外に受験勉強や生活に苦労してる家庭もあるはずですが思いやる余裕なんてなかったですね(笑)
- 自分は一回しか受けられないのにズルい。
- 私立組は都立受けないでほしい。
- 都立一本の人を優先して合格にしてくれないかな~
なんて嫉妬や焦りに悶々としていると (主に母親が原因) 私立や推薦が続々と合格。都立の一般は一番最後の受験日なので自分だけまだ決まらず不安が募るばかりでした。
無事に合格!
3月1日合格発表の日です。緊張しつつも心のどこかで、
まぁ大丈夫でしょ
と余裕がありました。そりゃ定員割れしてるんだもん。よっぽどのことがない限り落とされないはず。天気は晴れでしたが風が強くて寒かった。
そして掲示板には自分の番号がしっかり載ってましたやったー!!(´_ゝ`)
母親に電話で報告。
手続きの書類を書こうとしますが手がかじかんでうまく字が書けません。周りのほとんどは家族で来ています。書けない本人の代わりに親が書いてあげたりと、
なんでうちの母ちゃんは来てくれないんだろう~
とうらやましく思いましたね。さみしかったです(´_ゝ`)
中学に戻り担任の先生達に報告すると副担任は喜んでくれましたが肝心な担任は、
おーおめでとう~
正直受かると思ってなかったからどーたらこーたら。。
うぜぇ!!一言余計なんだよ!!(´_ゝ`)
そこはおめでとうだけでいいじゃない。冗談ではなく素で出た言葉って感じでした。いいもん期待されなくったって。
そしてやっと緊張から解放され、受験が終わるまで我慢すると決めたゲーム雑誌を買って帰宅しました。ダラダラしながら読む雑誌は至福のひと時でしたよ。ちなみにその雑誌はニンドリですなつい(´_ゝ`)
とにかく勉強が苦手だったのでこればかりは運に助けられたなと心の底から思ってます。
まとめ
一発逆転感が強い高校受験でした。滑り止め受けれる人が羨ましかったよまったく。
しかし自分の学力じゃ滑り止めすら落ちる気がする今日この頃です(´_ゝ`)
ちなみに自分は高卒で就職しました。
もう高校受験の時点で大学だの専門だのそんな選べる余裕がないことくらいは分かってました。
なのに何で進学校受けたんだよと当時の自分を恨んでいます。
就職するの確定なんだから商業高校など手に職付けられる学校選べばいいのにと。それ先生に言ってれば何かいい学校を勧めてくれたかもしれない。
こちらも運よく今務めてるお菓子屋さんに受かることができましたが、ちゃんとした土台を作っていたら他にもいい会社受けられたかもと思ってしまいます。タラレバですが。。
vlog始めました(´_ゝ`)
そもそも勉強嫌いな人間がそんな能力付けられるのかも怪しいですけどね。
生き残って自力で生活できてるんだからそれでOKですよね。ね?(´_ゝ`)
一緒に頑張って生きていきましょう(´_ゝ`)
ありがとうございました。
【完】