こんにちは。ふくらはぎです。
身内いないから敬老の日なんて関係ないよ女子です(´_ゝ`)
ブログのキャッチにも書いてますが自分は家族がいません。正確にはいたけど縁を切りました。
家族のことを書くと長くなりすぎるため、今回は ” 子供時代から家を出るまでどんな生活だったか” をざっくり綴ってみました。
こんな家庭もあるんだな~と軽い気持ちで読んでね(´_ゝ`)
貧乏で荒んだ家族
家族構成 4人家族でした。
父と母と長女の自分と弟がいました。
以下かんたんにキャラ紹介(´_ゝ`)
- 父親:せこい・家庭に無関心。母親より11個年上。
- 母親:家事も子育てもパートもこなしストレスでうつ病を患う。酒・タバコ大好き。酒乱で狂暴。
- 自分:長女。これ書いてる主。なんと美人(´_ゝ`)
- 弟:一個下の弟。癇癪もちで機嫌悪くなると暴れる。
自分以外みんな濃いキャラしてますね。そして内2人が狂暴。。こわいこわい。
両親はお互いのことを ”お父さん・お母さん” なんて呼ばず、互いの苗字や下の名前で呼び合っていたので我々も両親のことを名前で呼んでいました。
お父さん・お母さんって呼ぶ習慣がないまま縁を切ってしまったせいで、お父さん・お母さんという単語が恥ずかしくて言えないワードランキング上位に君臨しています。
なぜか照れてしまい抵抗がありますあと他の恥ずかしくて言えないワードは秘密だよ(´_ゝ`)
両親の仲が悪かった。
ケンカの原因:父親が生活費をくれない
幼稚園くらいの時にはすでに仲が悪く、離婚直前までよく夫婦喧嘩をしていました。
ケチな父親が生活費をろくに払わず母親に「足りない分はお前が働け」と言い、さらに家事も育児もせず家のことはほったらかしていたのです。
激しさは年々エスカレートし酒乱の母親を前に父親はなすすべもなく、「ちょっと散歩してくるわ~」と家から出ていく始末。
この状況で散歩??おかしいでしょ(´_ゝ`)
あれ?でもケンカとまったじゃん?と思ったでしょう??
逃げんのかテメー!!卑怯者っ!!
と母親の気は収まりません。むしろ怒りの矛先を我々こどもに向けてきます。
見たかテメーらの父親はなぁ~あーゆう男なんだよ!!お前ら見捨てて出て行ったぞ!!
と隣の部屋で寝ている我々をたたき起こしにくるのです(´_ゝ`)
明日学校だよ~眠いよ~と文句言うと「冷たい人間だ!!」「なんでケンカ止めねーんだよ!!」とさらに怒られます。知らねー!めんどい!!
子供を守るどころかほとぼりが冷めるまで安全な外に逃げる父親を憎く思いました。
中学の時に離婚。
警察・救急車のお世話になる。
ケンカはますますヒートアップし警察や救急車がよくうちを訪ねるようになりました。
警察は父親が、救急車は自殺未遂をした母親が呼びます。
ちなみに自殺未遂はうつ病の薬を大量に飲み過呼吸になった母親が「苦しいー助けてっ!!」と言いながら呼んでます。
ひどい時は自分が代わりに電話しました。
親の離婚どう思う??
幼稚園~小学校低学年くらいまでは”離婚・別れる”と言われて「離婚しないで~!!」と泣いて止めてました。(その年齢でよく意味わかってたな。。)
なんだかんだ言って家族が離れ離れになるのが嫌でしたね。別れるって言うと悲しい気持ちになりました。
ところが中学年くらいになると、
また言ってるよーいつもそう言って別れないじゃん!ケンカうるさいから早く別れればいいのに!!
慣れと反抗期のせいか ”いつまで続くんだこの状況は!?” とうんざりしてました。
別れずにダラダラ過ごすのかと思いきや自分が中学2年生くらいでやっと離婚しました。
家庭裁判所のお世話になったそうで母親が出かけようとすると弟と一緒に、
裁判見たーい!!
とせがんだのはいい思い出(´_ゝ`)
本当に長かった。。やっと終わった。自分と弟は迷いもせず母親を選びました。無関心な父親には未練もないです。
離婚すればもうケンカはなくなる。母親は大人しくなる。
平和になると思ってましたこの時は。。
母子家庭になり新しい男が出入りするように
アパートに引っ越し駅から近いじゃんやったーと思っていたら、母親はある知らない男を連れてくるようになりました。
母親が生活費を稼ぐためにスナックで働いていたのですが、その男はお客さんとして通われていてそこで仲良くなったそうな。
自分が幼稚園くらいからの付き合いだそうですおぇーー大人って汚ぇーー(´_ゝ`)
新しい父親ってわけではなく恐らく愛人関係かと。。
母親に再婚の意思はなさそうだったのでそこはほっとしました。
ところが離婚してから男は家に頻繁に出入りするようになり、家族で出かける時も一緒についてきたりと正直不快な存在でした(´_ゝ`)
だって家族水入らずなのに知らない他人のおっさんがいるんですよ。母親とイチャイチャするしキンモーー!!(´_ゝ`)
多感な年ごろだったので余計に気持ち悪くて仕方なかったです。
そしてその人もまともな人間ではなく、
”仕事は続かない・お酒とタバコ大好きで・酔うと暴れる” 昼ドラに出てきそうなダメ男でした。
そんな男とも平和な日々は続かずまたケンカの日々です。
ただでさえ母子家庭で生活保護を受けるくらいお金がないのに全然働いてくれないんだもん。ケンカになって当然です。
再び警察と救急車のお世話になりました。
こちとら静かに暮らしたいんじゃぁっ!!(´_ゝ`)
弟が出ていき母親と二人暮らしに。
自分が高卒で働き始めた直後でしょうか??弟が専門学校に行きたいと言い出したのです。
母親はお金ないから働いてくれと説得するも弟は聞く耳持たず。しかもそんな弟に父親がなんと、
オレと一緒に暮らせば通わせてやるよ。
と言い出したのです。こいつウソついてると思いました。だってあんなにお金を出したがらないドケチ男が学費を出すなんてありえません。
母親も騙されてると言いますが弟はあっさり父親を選びました。そりゃ進学はあきらめて家のために働けって言われたら反発したくなりますよね。
就職した時なんのために生まれたんだよって本当に思いました。
あの男(父親)はズルい!!卑怯だ!!弟を返せ!!
母親は泣きながら叫んでいました。
結局父親が学費を出したのではなく奨学金を借りただけだったみたいです。それでも弟は学校に行ければ何でもよかったそうですよ。
そんな形で母親と二人きり生活が始まります。
正確に言えばクソ男もウロチョロしているため2.5人生活です(´_ゝ`)
母親に家を追い出される。
就職して半年後の秋に母親とケンカしました。お金がないんだそうです。なので父親にうまいこと言ってお金もらってきてと言われました。
自分は高校出るまで生活保護を受けられましたが、
卒業したらカットするんで働いて生活してね。
と役所の方に言われているので強制的に就職コースでした。母親はまだ生活保護を受けてたのかな??覚えてない (汗)
母親と一緒に暮らしている以上面倒を見なければならず、自分の稼ぎは生活費に消え絶望しながら日々を過ごしていました。
この頃の母は万引きしたり酔っぱらって夜中に徘徊したり、ふくらはぎの名義でキャッシングカード作ろうとしたり(未成年だから作れず)と手に負えない状態になっていました(´_ゝ`)
帰れなくなっちゃったから迎えにきて~
酔っぱらって自力で帰れなくなった母親から呼び出しの電話がかかり、夜中に探しに行くことが増え寝不足が続きました。夜もおちおち眠れませんし気が休まりません。
(踏切で大の字で寝てた時は本当に心臓とまりました本当に)
自分たちを育てるためにストレスと抗うつ剤の副作用で体も精神もボロボロになっていたとは言え、フルタイムで働きながら一人でやりたい放題の母親なんか見れません。
- 家はずっとビンボー
- 働かなきゃいけない
- 稼いだお金は自由に使えない
- 母親は手が付けられない
19歳の時はこんな状況でした。未来に希望なんてありませんでしたよ(´_ゝ`)
お金のことでよくケンカをしていたある日突然、
使えない女は出てけっ!!
と自分の荷物を外に投げ捨て追い出されました。
夜の21時くらいでしたね。行くあてのない自分は仕方なく父親のもとに転がり込みました。
またこの人と一緒に暮らすなんて。。とショックでしたが母親から解放された安堵感はとにかく大きかったです。
父親の家に転がり込む。
父親の住んでる家はリビングの他に6畳の部屋が3つもあるファミリータイプの広いアパートした。
金持ってんじゃねーか!!(´_ゝ`)
本当に腹が立ちます。しかしそのおかげで自分にも一つ部屋が分け与えられました。
1週間くらいしてからなんと母親から電話が!恐る恐る出てみると、
ふくらはぎちゃんごめんね!私が悪かったから帰ってきて~!!あんたそっちで生活なんて無理よ!!
と泣きながら帰ってきてコールされました。しかし自分の気持ちは揺るぎません。
もう母親と地獄の生活はしたくないと思ったからです。
こっちの生活慣れたから大丈夫!心配しないで!!
気を逆なでしたくないのでやんわり断りました。
しかし、その数日後なんと酔ってキレた母親がこちらに押しかけ、またまた警察沙汰になりました。
おまわりさんに連行される母親。。これが最後に見た母親の姿でした(´_ゝ`)
母親が突然亡くなる。
母親を避けながら生活をして3ヵ月。世間はすっかり12月のクリスマスムードです。
早番で夕方に上がりケータイを見るとなんと弟と警察からの着信履歴が数十件も!!
何事かと思い弟に電話すると暗い様子で、
おちついて聞いて。。母親が死んだ。
すぐに弟と一緒に警察署へ。そこで変わり果てた母親と対面しました。
この間まではあんなに元気だったのに。。ショックで涙が止まりませんでした。
死因は ”血栓が肺の血管に詰まり過呼吸で倒れた” とのこと。抗うつ剤やお酒・たばこかハッキリ原因はわからず司法解剖は終了。
生活保護かそれとも子供が二人ともまだ未成年だったせいか、葬儀や火葬場は市が準備してくれました。
13時にお坊さんがお経読んで夕方には火葬が終わるという超特急なスケジュールでしたね(´_ゝ`)
お墓がないので自分が母親の遺骨を抱え、父親に車で家まで送ってもらいました。この日は一気に疲れが出て倒れるように寝ましたよ。
ちなみにこの日はクリスマスイブでしたメリクリ(´_ゝ`)
一人暮らしを始める。
母親が亡くなってから2~3年後にやっと父親の家を出ました。
なんでそんなにかかったと言うと、初めて稼いだお金を自由に使えるようになったのでパソコン買ったり免許とったり散財していたからです。
一人暮らし始めたら貯金する余裕ないじゃないですか!だから今のうちにと遊んでいたのですよ(´_ゝ`)
父親は干渉してこないので母親といる時よりもまだ過ごしやすかったから我慢できたんですよね (おはようやお帰りの挨拶もありません)
異動で西東京から23区内に飛ばされたのでこれを機に今住んでるアパートに引っ越しました。
やっと家族と離れて自由になれたと本当に心の底から嬉しく思いました。感極まってヘッドスライディングしたのは今でもハッキリと覚えています(´_ゝ`)
母親の面倒について
追い込まれるまで母ちゃん頑張って育ててくれたんだから面倒見ろよ!と思った方もいるかもしれません。
まともな方ならいいですが、いわゆる”毒親”でして、
- 弟と扱いが違う
- ふくらはぎへの悪口や暴言ばかり
- 人の稼ぎを当てにしてお酒飲みまくる
など物心ついた時には ”弟と接し方がちがう” と感じましたし、普段は目の敵にするくせに困ると頼ってくるという調子のいい方でした。
他に頼る当てもないし、このまま一緒にいるとふくらはぎの人生まで食いつぶされてしまうと悩んでたんですよ。
育ててくれたことは感謝してますが、かといってそれを理由にやりたい放題されても困ります。
当時の母親はふくらはぎへの思いやりがなかったので自分も母親のために頑張ろうと思えなかったですね。
事情が事情だから本当にしょうがないのですが、もっと愛情がほしかったです(´_ゝ`)
おかげでたくましい人間に育ちましたよ↓
まとめ
長くなりましたけど飛ばしてることもあるので家族一人ひとりのことや当時の詳細もその内記事にしたいと思います。
家族に認められず悔しい思いもたくさんしましたが、そんな人にすがっていても傷つくだけなので他人だと思ってスパッと距離を置いた方がいいです。
外に行けば人はたくさんいるのでそこで自分と合う人を見つければいいと思っています。
もちろん難しいことですが、家族が守ってくれないなら自分で守るしかないんですよ。実際自分も色んな人たちに助けられて今日まで生きてこれました。
自分の親たちが人生の全てではないですよ!!
苦しいけど一緒に頑張りましょう(´_ゝ`)
ありがとうございました。
【完】